代表取締役会長兼社長深澤 煕之
■昭和アルミグループ:昭和アルミ株式会社:昭和アルミインターナショナル株式会社:昭和ホーム株式会社
■代表取締役会長兼社長 深澤 煕之
■建築プロデューサー
■出身地 富山県
■防衛大学校卒業後三等陸尉:施設大隊の駐屯地に配属する直前に父の訃報により急遽生まれ故郷である富山へ帰郷
■少年工科学校(少年自衛官時代)より防衛大学校に在籍中、お国の為というか、大震災などの天変地異で災害が発生した際、ライフラインの道路、橋、仮設住宅などを造り、人の生命を守る仕事につきたいという希望で、施設大隊に赴任予定でした
■帰郷当時、父の建設業及び土建業及び家庭薬配置業を分割して遺産を処分、大手ゼネコンの下請けの仕事を請けている途中でしたので遺産を整理する際にその責任を引き継ぎ、大手ゼネコンのホテル建設途中の現場監理責任者として携わる、当時、高層ビルを建てる際、日本古来からの伝統工法である五重塔を建てる宮大工の技能として父は業界から買われていました、祖父はバリバリの宮大工の棟梁で祖叔父が黒四ダム建設の現場監督でしたので父はその影響を受け、コンクリート建設や土建、造成業の仕事をし、かたわら、大雪で建設業ができない冬の時期は富山の薬の配置業の仕事をしていました。その父の基で働いていた、親方衆をまとめ、その当時の職人を監理する代表親方として責任を引き継ぎました。
■昭和59年より大手ゼネコンにて建設施工監理・土木造成工事監理・ビルメンテナンスにて欠陥雨漏り改善工事で全国の雨漏り欠陥ビルの改修工事の監理兼代表親方としての職を携わる
■昭和62年転身をして旧昭和アルミニウム株式会社のグループ会社の傘下で昭和アルミのアルミサイディングの施工監理に携わる
■平成16年、旧昭和アルミニウム株式会社が昭和電工に吸収合併で消滅後、アルミサイディング製造開発兼施工監理専門会社としての新、昭和アルミ株式会社として組織変更し、現在に至る。
■先祖代々、御大工(宮大工)系の家系の末裔、先祖の家系を遡るところ、豊臣秀吉が存命の頃、秀吉公の居城の伏見城を造営に携わったのは当時の御大工の棟梁の黒川六助が携わり、その功績を認められ、加賀藩初代藩主(前田家2代当主)前田利長公より井波に土地と建物を与えられました。これが井波拝領地大工十人衆で有名になり、その当時の棟梁の黒川六助の兄弟弟子が先祖で、現在は富山県南砺市で井波彫刻で欄間(ランマ)彫刻でも有名です。
■この地区から程遠くはない、富山の五箇山及び岐阜県白河郷の郷の合掌造りは「ユネスコの世界遺産」で有名ですね。富山湾で捕れる白えびをせんべいにした白えびせんべいは美味しいという評判ですので、合掌造りの観光に行かれた際、賞味をされてみてはいかがでしょうか。
■この合掌造りの建物が私の現在の住宅を改善していくお役に立てられるよう日々精進させて頂いている石杖になっています。20年30年しか耐久性が低い、住宅を60年100年と耐久性のある住宅及び住空間になるよう日々精進させて頂いています。
■それには住宅を改善する為の最低限の「技能」が必要でありそれには住宅に対する愛情の目が必要であると思う次第です。先祖代々の家系の家訓は「心」が7割・「技」が3割というくらい、「心」の鍛錬を日々、修練していく事が大事であるとつくづく思います。
■御大工(藩からのお抱え大工の事を御大工といいます)は「技」と「心」を磨いて鍛錬していくのですが、五重塔を一生に一度は挑戦して建てたいというくらい技能を磨く目標にしていますので、通称「宮大工」と呼んでいます。
■ちなみに私の母方の家系は豪農の一族で江戸時代より家庭薬配置業で有名な一軒一軒家庭訪問して薬を売る売薬業を兼業していました。私が小さい頃、母方の実家に遊びに行った際、薬の整理のお手伝いをさせられました。富山の薬売り(売薬)の粗品で紙風船(かみふうせん)が有名でしたね。(母方の当主である叔父が62歳という若さで急死したのですが、葬儀の際、当時の県知事や国会議員、優良企業の代表者等々、殆ど付き合いがないのに1.000人以上の方々が葬儀に参列して頂いたのですが、叔父がこんなに人脈があったとは。驚きでした。
■江戸時代に江戸城で富山藩2代藩主前田正甫公が五代将軍徳川綱吉公に年賀の挨拶と病気平癒の挨拶に登城した際、陸奥三春藩(現在の福島県三春町)2代藩主秋田輝季大名が腹痛を起こした際、富山藩2代藩主前田正甫が藩主秋田輝季に薬を飲ませて、腹痛がみるみるうちに治ったという逸話があり、(江戸城腹痛事件)その事が全国の藩で有名になりこれが富山の薬が全国的に有名になったわけなのです。
■趣味は温泉旅行とドライブなのですがなかなかゆっくり行けないので、年に1回くらい出張のついでに家内をつれていき、途中で温泉につかったりしています。
家族・人の営み・人間の生命を守ってくれるのは、日常生活の基本の場であります、住まい(住宅)です。
この住宅を風や雨・太陽日光直射紫外線から守ってくれているのが外壁材や屋根材です。
弊社:昭和アルミグループ企業体は、アルミサイディング外壁リフォームの専門メーカーとして、この外壁材の「素材」及び工事方法の「工法」そのものに特に力を入れ、アルミサイディング外壁材+昭和アルミ独自工法SOIV工法の直接責任施工にて、製品開発だけではなく、工事方法の施工技術の向上に邁進続け、過去よりの30.000棟以上実績工事の中、日々、研究と鍛錬の精進し、「技」と「心」を磨いていくという姿勢で今日に来ております。
これは私の先祖代々、御大工(宮大工)の家系の教訓で「技」と「心」を磨いていくという家訓が自然とからだのDNAに伝わってきている伝統の家訓です。
そういった視点で、日々感謝と精進で、市場開拓に邁進してきました。アルミサイディングが日本の市場に初めて出てから。35年以上経ち、最近になって、ようやく、、その実績が認められ、日本の市場で市民権を得られた思いでございます。
こうして今日迄、邁進をしてこられたのは、ひとえに皆様方の暖かいご愛眼とご支援の賜物と心より感謝を申し上げる次第でございます。
世界経済のなかでは、日本国の位置づけは先進経済大国の地位にありながら、日本国中に今現在、普及している住宅の実情を見ますと、豊かさ・快適さ・美しさにおいては残念ながら遅れをとっております。
今、日本の世代は、日本の高度成長を支えてこられた、団塊の世代方々は既に停年後の第二の人生の老後の生活を営んでおります。バブル崩壊後、日本の経済を支えてきた世代の方々が停年後、年金支給を5年、10年先延ばしにして、第二の就業先で現在の日常生活を営んでおり、そして、更に日本国は高齢化社会へと向かいつつある現状であり、あわせて少子化問題がついてまわってきています。
そのなか、これからの日本の豊かさにおいて、その豊かさのバロメーターが、形として現れていくのが、今、住んでいる、「住宅」であると言って、過言ではないでしょう。
日頃、「着ている洋服」や「生活の移動の手段であります自動車」をいくら良いものを持っていても、生活の場である。住まいが豊かさとは、ほど遠い状態であれば、毎日の生活が豊かであるとは言えません。
これからの人生で豊かな人生を感じていくには、もっとも大切なのは家族の和であり、家庭でございます、その家族を営みと生命を守っていくのは、器である家であり、住宅であります。
日本の国家を守っているのは、一人一人の日本国民の和であり、それを支えているのは家族です。
「その家族を守ってくれている家を守りたい」「日本国中の生活を守っていきたい」そして、「日本国中の家族の団らんの豊かさが充実して実感できますようにという願い」その強い思いに身を捧げ、新たな決意で邁進していきますので、今後とも、弊社昭和アルミ株式会社及び昭和アルミグループ企業体を皆様方からのより一層の変わらぬご支援とご愛眼を溜まりますように、心よりお願い申し上げます。
昭和アルミグループ:昭和アルミ株式会社(母体) 昭和アルミインターナショナル株式会社
昭和ホーム株式会社 他、「昭和アルミグループ傘下のグループ企業体」
昭和アルミグループ:代表取締役会長兼社長 深澤 煕之 拝
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